歩行期のワークで、こんなことが起きました;
用意した紙を手を使ってビリビリと破り始めると、不思議と色々な感情が溢れ出してきました。贈り物の包み紙をビリビリっとしたときに、母に「あら、そんなふうにしてはダメよ、包み紙が後で使えなくなってしまう」と。夏休みの宿題の絵画も、朝起きると私の書いたものの上に母の修正が私の許可もなく加わり、作品展ではそこに金賞の紙が付いていたことを思い出しました。「私が全部やったんじゃない!」と、何だか複雑な気持ちで金色の紙を眺めていた小さな私を思い出します。
散々心ゆくまでビリビリ、ビリビリと紙を割いた後で、水を注いでこねて粘土のように形を作りました。すると今度は、泥のお団子を作っていた時の小さな私に出会いました。その子は、必死でこねこね上手にまん丸に形を整えて一つずつ並べています。子どもの私と、大人の私の思いが交差しながら、「どうせ、また行っちゃうんでしょ。一緒に遊んでくれないんでしょ。」という声が聞こえてきました。ここまで小さな頃からひとりぼっちが多かったことにとても驚きました。セラピストさんより、「大人の私がいるよと伝えてあげてください」との言葉にはっとさせれされました。遊んでくれなかった両親にもしょうがないとの諦めと共に静かに怒っていたことに気が付きました。
途方もない作業ではあるけれど、こうやって細かく噛み砕いて理論的に子供の成長段階とともに知識として学んでいく過程から置き去りにされてきた、たくさんのチャイルドの声に出会うことは宝物の宝庫だと感じています。これまでだったら親を憎んだりして両親との距離をおくことも多かったし自己憐憫に沈み込むことが多かったけれど、乳児期のワークから「この子を守るのは私しかいない!」という赤ちゃんの身体の重みを感じることができる場所から踏み出す一歩の感覚は以前とは数段違う前進だと実感しています。
自分の問題意識を明確にすることで、無理のない等身大での自分自身の毎日のチャレンジがしやすくなっているように感じています。自分が誰であるのか、自分の輪郭をなぞることができた時、自分の感覚と他人のものとの境界線をしっかり持つよう意識的になれた事も一つです。
小さいことも見落とさずチャイルドと向かい合い対話を続けることで、私がありのままであっていいことを自分自身に許していくプロセスを楽しみたいと思います。そうすることで、今滞っている日々の日常での小さな挑戦にも立ち向かってゆけそうな感触があります。
(Tさん / 女性 / Welcome♡My Child)